大野 俊三(Shunzo Ohno)
/Trumpet
1949年岐阜県出身。
- 1974年アート・ブレイキーの誘いでニューヨークへ渡り、アート・ブレイキ
ーやロイ・ヘインズとの共演の後、ノーマン・コナーズのダンス・オブ・マジッ
クに参加し、3年間にわたり世界ツアーを行う。
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1976年ノーマン・コナーズの、ミリオンセラーとなったアルバム「ユー・ア
ー・マイ・スターシップ」にフューチャーされた『バブルス』の作曲・編曲をま
かされ、ノーマン自身がリリースした『バブルス』のシングルレコードもゴール
ド・ディスクとなる。
- 1982年マチート&アフロキューバンズの一員としてアメリカ国内はもとより
、欧州や南米ツアーに参加。
- 1984年度グラミー賞受賞:大野のソロをフューチャーしたアルバム「マチート
・アンド・ヒズ・サルサ・ビッグ・バンド」
- 1983年-1988年 ギル・エヴァンス・オーケストラに参加。1988年度2度目のグラミー賞受賞:アルバム「ライブ・アット・スウィート・
ベイジル」
- 1988年交通事故に巻き込まれ、唇を切り、前歯を折るなどトランペッターと
して致命的な危機に陥るが、強靭な精神力で見事に復活。
- 1989年バスター・ウィリアムスのクインテットに迎えられ活動を再開。
- 1996年第四期扁桃ガンとの闘病。顔面片側の唾液腺と神経を除去する大手術
を受け、再びトランペッターとしての致命的傷害を受けた。しかし俊三の不撓不
屈の挑戦により、楽器を一から始める状態から、演奏活動を再開できるまでにな
った。
- 2000年3月このドラマがフジTV「北野タケシの奇跡のアンビリバボー」で紹介さ
れる。
- 1998年後半-1999年ウェイン・ショーターのグループに入り活動
- 1998年11月ウェイン・ショーターのジャパン・ツアーの一員で来日
- 1999年ギタリストのラリー・コリエルの、全米ツアー、ワールド・ツアー参加
- 2001年12月今までの実績が評価され、U.J.C.(ユニバーサル・ジャズ・コアリ
ション&ニューヨーク・ジャズ・センター)より、「アジア・アメリカ・ジャズ
・コネクション音楽部門」芸術的貢献賞の第一回受賞者となった。
- 2003年東京国際映画祭出品作「ほたるの星」の楽曲制作。
- 2005年岐阜市ふるさと文化賞受賞。
- 2006年,2007年ワシントンDCのケネディーセンターに於いて、ハワード大
学ジャズアンサンブルとの共同プロジェクトによるコンサート。その成功は文化
の相互理解を促進するという面で、大変意義あるものになった。
- 2007年アトランタ・フェスティバル、2008年香港公演では3日間の全ソールドアウト。シンガポール、マレーシア
にても大好評を得る。
- 2008年エグゼクティヴプロデューサーにタモリを迎えアルバム「SAKURA」
をリリース。
- 2009年、2010年渡米35周年記念コンサートツアーを日本国内にて39公
演行い、大好評を博す。
- 2011年5月ニューヨークにて東日本大震災チャリティーイベントを、公立学
校区の共催で開催し、多くの参加者からの義援金を寄付。
- 2011年7月以来、今日までの来日の際、その数100回以上、東北の被災地を
訪門、釜石市、気仙沼市、大船渡市、仙台市、花巻市それぞれの地にて、小・中・高等学校、避難所、仮設住宅、及び地元アマチュアバンドとの交流コンサート等
を行っている。
- 2011年香港公演にて、各メディアから本年度ベストコンサートとの賞賛。
- 2012年ニューアルバム「 ALL IN ONE」をリリース。
- 2014年ニューアルバム「 月の光」をリリース。
- 2014年5月世界最大級の国際作曲コンペティション International Songwriting
Competition(ISC)において、120カ国2万人の中から頂点「総合グランプリ(Gran
d Prize)」に輝く。
(13年間のコンペティションの歴史の中で、日本出身者のGrand
Prize受賞は初めて。また、ジャズ部門ノミネートからも初めての快挙)
- 2015年ニューアルバム「 ReNew」をリリース。
- 2015年:熊本被災地チャリティーコンサート、熊本被災地慰問
- 2016年12月31日最新アルバム「ReNew」が「第38回Annual Jazz Station
Awards/The Best Jazz of 2016」で最優秀賞を受賞。
ベスト・アルバム賞に加え、大野俊三自身も「ベスト・トランペッター賞」
「ベスト・コンポーザー賞」に選ばれた。
現在も、俊三は不屈の精神をもって、世界の人々の心にポジティブなエネルギー
を与え続けている。
【オフィシャルホームページ】
http://www.shunzoohno.net/